〜2012年1月〜



                     
     
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  2012年1月2日。


  年の始め。故郷藤井寺で過ごしました。
  実家の氏神様「産土(うぶすね)神社」。産む土。
  生まれた土地の神様です。


  正月の三が日。いつもは固く閉ざされた神社の扉が開く。

  
  木に描かれた奉納絵。歌詠人の絵が180度並ぶ。
  そして祭壇には津堂八幡神社と同じ、弓矢を持った人形。


  「弓矢八幡」として崇敬を集めたの武神、誉田別命(応神天皇)を
   表しているのでしょうか・・。いつ見ても独特です。

 


 
          


     普段は寂しいお寺もお正月飾りで彩られ綺麗。立ち葵の紋。


     藤井寺市、小山善光寺。
本尊は信濃善光寺(しなのぜんこうじ)と
     同じ一光三尊仏阿弥陀如来(いっこうさんぞんぶつあみだにょらい)。


      
長野の善光寺は有名ですが、同じものが祀られているのには
     言い伝えが。


    「祈りを捧げると2体に分かれた」と。

     一つはここ藤井寺に、もう一つは長野に持ち帰られたそう。
     元善光寺とも云われています。


 
   

  
津堂城山古墳。随分眺めも変わりました。
  手前には、墳丘修復の為に伐採された切り株が根ごと倒れる。

  「環」の絵に描いたように、ここから二上山が見えていたのですが、
  高層の府営マンションが立って見えなくなった。


  世界遺産を薦める大阪府も、市の方も、この城山古墳が古代から
  神聖視される二上山や、応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳を
  正面にしていることを知らなかったのだろうか・・・。


  前回の帰省で神社から引きぬかれた石碑。石棺を復元と
  言っていたのですが、予算がなく、専念寺の庭石の石棺も
  途中で堀り出されなかったと母が言っていた。

  
  高くそびえていた石碑が、ただ単に並べた状態。言葉を失う。

  
  ここに並べた心が、100年前、神社の守り石にと立てたの
  村人の心よりも上回るとはどうしても思えなかった・・・。

  保存したいのか見世物にしたいのか。今後を見守る・・・。
  

  
  
  1月5日。

  いつも二上山に行くと、駅が奈良側になるので、一度大阪から
  チャレンジしたくて、大阪の貴志駅から歩いた。
  
  
  駅を降りると二上山が真ん前。道が二上山へとまっすぐ伸びる。
  

  石川に掛かる橋から、生駒山、二上山、葛城山、金剛山が一望できた。
  
  
  道の先には
叡福寺。謎多き聖徳太子の御廟(お墓)のあるお寺。
  境内からは當麻寺と同じく二上山が見えた。
  

  當麻寺にゆかりのある麻呂子王と聖徳太子は異母兄弟と。
  二上山を挟んでお互いに立つのは意味があるのだろうか。


  奈良から見て、日の沈む二上山より西は西方浄土にあたるとされていた
  からか、大阪側は古墳(お墓)だらけだな、と歩いていて感じた。





  1月6日。大阪の石切劔箭神社(いしきりつるぎや神社)へ。
  通称、石切さん。

  お百度参りで有名なこの神社。
  勾配がきつい参道にもかかわらず、お参りする方の列が後を耐えない。
  杖をついたお年寄りもいた。信仰の厚さを感じた。

  
  物部氏の祖先を祀るこの神社。
  河内国を治めた物部氏。旧藤井寺にあたる餌香長野邑も治めていた。
  藤井寺市にある辛国神社にも祀られています。

  ニニギノミコトの兄とされる、ニギハヤヒを祀る。
  ニギハヤヒはこの地に、十種の神宝を持ち天磐船で降り立ったと。
  
  
  物部氏は古代祭祀一族。そのせいか参道は易、占が軒を連ねる。
  時を超えて残る血なのか。また行きたい場所。

  


                                                                                             

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